人のものさしって全然違いますよね?
自分が普通って思っていても、他の人からしたら普通ではなかったり…
いったい普通って何でしょう?
大抵の人は…
多くの人は…
大体の人は…
一般的に…
っていろんな言葉がありますが、統計的に多いってことですよね?
少数派は変わった人扱い😭
最近は差別をなくす動きがたくさんのひとに受け入れられ、浸透してきているように感じますが、私が小学生の時期はまだまだちょっと人と違うだけで、仲間はずれにされていたように感じます。
今でいう発達障害の子に対してもあまり周りの理解もなく、人と同じように出来ないだけで、仲間はずれにされていた気がします。
私は大家族の中で育ちました。
父は父子家庭、母は母子家庭で育ち、しかも母の母親が脳卒中が原因で半身不随ということもあって、父の父親、父の弟達、父の甥、母の母親、母の妹達と私のきょうだいと1番多い時で11人で暮らしていました。
4DKという核家族が住む広さに。
父の兄弟達は異母兄弟というのもあって兄弟上から下まで歳がすごく離れていて、父が結婚した時はまだ高校生の弟がいました。
父は兄とも年齢がすごく離れていて、父の甥は父とあまり歳が離れていませんでした。
父の甥、つまり私の従兄弟にあたります。
その従兄弟は知的障害がありました。
そして、私のきょうだいは色覚特性をもっています。
私も生活に不自由するほどではありませんが、色を違うように認識している時があります。
きっと傍から見たら、複雑な大家族だったようです!
本人たちは何にも周りと変わらないと思っているのに。
だいたい、障害って言葉がよくないのかもしれません。
色覚特性に関しても、差別だぁと、学校での検査が一時期無くなりました。
最近は希望者のみ実施しているようです。
うーん🤔
これはどうなんでしょう?
検査がなかったらなかったで、自分が周りと違う感覚を持っていることを知らないままになります。
希望者だけだと、そういう人もいるんだという周りが知識がないままになります。
もし、普通という基準があるのなら、自分も周りも、みーんなみんな、それを受け入れてたうえで、個性であると認める社会になってほしいと、個人的には思います。
話をまた戻しますが、両親の生活は大変だったろうなぁと大人になってやっと理解ができるようになりました。
でも、私は生まれた時からその中にいるので、その時は何とも思ってませんでした。
いわゆるそれが私にとって『普通』
だったんです。
小学校にいくと、髪の毛が癖っ毛ってだけで、揶揄われたり…
親が離婚したり、再婚したりすると苗字が違うからと揶揄われたり…
ちょっと発音が悪いとか、人とうまく関われないとか…
人と同じようにできないとか…
たったそれだけで…
ってことで仲間はずれにされている子が多かったような記憶があります。
しかも世の中、高度成長期で、結構裕福な家庭が増えてきて、核家族になり、ピアノやそろばん、習字と習い事をしている子が多かった。
ちょうど、うさぎのマークのランドセルが流行っていたころです。
しかも自分の勉強机も、子供部屋も用意されている。
あなたはお金のこと気にしなくていいから、勉強だけしとけばいいのよっていう時代です。
でも、そういうのは私にとって無縁で、ランドセルは母がどこからかもらってきたお下がりでした。
数年たつとボロボロになりました。
すると、またどこからかお下がりのランドセル。
子供部屋なんてとんでもない。
だって、叔父や叔母が、兄弟で一つ、姉妹で一つの部屋を使っているぐらいでしたから。
勉強机もありません。
半身付随で寝たきりの祖母が使っているこたつが私の勉強する場所。
そして、その祖母の部屋に私達きょうだいは一緒に寝ていました。
なので、というと語弊があるかもしれませんが、人それぞれだと思っていたので、何故仲間はずれにされているのかも考えもせず、仲間ハズレにされている子達を誘って遊んでいました。
すると、ある日突然クラス中のみんなに無視されはじめました。
何が起こったのか、私にはさっぱりわかりませんでした。
今まで一緒に遊んでいた子達にも無視をされます。
次第にクラスだけでなく他のクラスの子にも…
どうしていいかわかりませんでした😭
もう耐えられないと思った頃、一緒に遊んでいた子達が、「助けてもらったんだから、今度は私達が助けてあげる。」
って話してくれました。
ちょっと待って!
助けてもらった?
そうです。
私は助けたつもりはないというか、普通に遊んでいただけ…
その子達にとっては、助けてもらったという感覚だったようです。
私と話したら、また仲間はずれにするって言われていたそうです。
父は習字の師範の資格を持っていたし、絵画が趣味だったので、スケッチブックを持って出かけて絵を描くのが父との休みの日の過ごし方だったんです。
それで私は、習字も、絵もよく入選していました。
でも、建築業の父がそういう人だと周りは知る由もなく、ただ入選という事実があるだけで、先生のエコひいきだと思われていたのです。
つまり、私が仲間はずれにされている子達と遊んで、いい子ぶって、先生によく思われようとした。
そんな噂が拡がっていました。
世の中がちょうど核家族が増えてきて、ウサギのマークのランドセルが流行り出した頃だったので、大家族でランドセルも制服もぜーんぶお下がりの私は、周りと違うとはじかれ、先生によく思われようとしているようにしか写ってなかったのかもしれません😅
周りの子達は自分の部屋があって、勉強机を買ってもらって、新しい制服に、新しいランドセル。
かたや私は自分の部屋も机もなく全てがお下がり…
習字も習ってないくせに…
絵画教室にも行ってないくせに…
なぜ、先生に褒められてんの?
エコひいきに決まっている。
そんなふうに見られていたようです。
当の本人、私は全くなーんとも思っていなくて、新しいものが欲しいとも部屋が欲しいとも思っていませんでした。
不思議ですよね(笑)
自分でいうのも何ですが、なんで何とも思わなかったんだろう?
って自分で思います。
私のきょうだいはみんなみたいに机がほしーいって泣いてわめいて、私の親も困り果てて、買ってあげたりしていました。
その時も、私も買ってーって思わなかったんですよ。
あの頃の私はどこへ行ってしまったんだろう?🤔
今、自分が親になって、気づいたことがあります。
子供達が周りの子と比べて、ちゃんと成長しているかしら?
みんな持っているから持っていたがいいかしら?
持ってないと子供たちが仲間に入れてもらえないかも…
みんなが見ているテレビを見てなくて話についていけずに浮いてないかしら?
自分も知っとかないと話に入れない…
みたいなこと気にしている自分がいます。
ダメダメ😤
自分が周りと比べないようにしないと!
もしかしたら、世の中は以前よりは差別に対する意識はよくなっているものの、子供達の世界は未だ変わってないのかもしれません。
ネット社会になって、さらにひどくなっている部分もあるのかもしれません。
個性を認めよう、個性を大切に!
って言っているように聞こえてはくるけれど、みーんな同じようにしようとしている。
あの人みたいに…
時代に遅れないように…
普通という『ものさし』
は人それぞれ…
その人をそのまま受け入れる心を、自分も含め、もっともっと持てるようになりたいものです。
みんな愛されるために生まれてきた、同じ命。
仲間はずれや差別のない世の中になることを祈ります✨
というものの、頭ではわかっていても、心の奥底で、私自身ずーっと引っかかっていたんです。
心のどっかで、褒められたら、また嫌われる気がして、小学校卒業してからというもの、先生に褒められないように、目立たないように過ごしてきました。
社会人になって、集団行動が苦手で、私をどんなふうに見ているのかが気になってしょうがないと言いますか…
人がコソコソ噂話をしていると自分のことを言われてるんじゃないだろうか?
ってビクビクしている自分がいました。
そんな傷ついた心をインナーチャイルドで癒してもらいました。
仲間はずれにされた記憶は消えません。
でも、私が人と違うから仲間はずれにされた感覚だったものが、私が悪いわけではない。
私のままでいいんだっていう感覚になりました。
劇的に気持ちが変化したわけではありません。
まだ少し臆病な自分も残っていますが、前よりも前向きになれたように感じます。
いじめが原因で命を絶ったというニュースを見るたびに、どうにか解決する方法はないものかと心が痛みます。
誰かの役に立てたらと色々学んではいるものの、結局は何もできない自分がいるんですよね😥
その度に、自分の無力を感じて落ち込んでいましたが、できなくて当然なのです。
自分1人で生きているわけではないのですから。
だからと言って、自分の思うようにいかないのは誰かのせいでもないのです。
だって、自分の人生は自分が創造しているのですから。
視点を少し変えるだけで、見える世界は変わります💫
複雑に考えなくていいんです。
自分の得意なところをすればいい。
そして苦手なところを、その得意な人にしてもらえばいい。
ただ、単純にそういうことなんですよね。
きっと🍀
その単純なことを受け入れることが難しいのですけれど😂
最後まで読んでいただきありがとうございます。
よかったら自己紹介ページもみてくれると嬉しいです。
公式ライン登録の方もよろしくお願いします🙏
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あくまで個人的な見解、体験談ですが、またご縁がありましたら🧚
一期一会🌏
追記:下記はセラピストを目指す方へのおすすめ講座
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もしかしたら子育て中の方にもためになるかもしれません